「青空1号」リリース記念インタビュー 第3回 (聞き手/カストル) |
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カ・ | 覚さんの音楽歴というやつを聞いてもいいですか。 |
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覚・ | 子供の頃は、母親が聴いてた映画のサントラのLPを聴いてましたね。マントヴァーニ・オーケストラとか、古き良きハリウッド映画時代の。小学時代は、仲のいい伯母が聴いてたジョーン・バエズとかppmとかを、鼻歌にしてた。この伯母はシンガーソングライターの走りみたいなひとで、地方のラジオ局に出演したりもしてたなかなかの才女なんですけど、歌作りをはじめたのはこの人の影響が強いと思いますね。ギターとピアノを始めたのはこの頃です。 |
カ・ | たしか小学1年のときに最初の歌を作ったんですよね。 |
覚・ | 庭の赤いバラの花の歌を、詩曲を同時にオルガンで作ったの。(笑) |
カ・ | 子供時代は合唱隊に入ってたんですよね。 |
覚・ | そーなんですよー。いやーこれがねー、楽しかったんだよ。結局高校までやってたもん。ヘンデルの「メサイア」とか、賛美歌とか、もうむちゃくちゃ気持ち良くて。 |
カ・ | 大勢でウワーって歌うのが。 |
覚・ | たぶん宗教音楽特有の和声が好きだったんだと思います。いつも鳥肌立ててました。考えたら抹香臭いですよね。でもその頃から宗教的な雰囲気を好んでたんですかね。 |
カ・ | 高校時代、軽音楽部にも入ってたと聞いてますが、何やってたんですか。 |
覚・ | バンド組んでギターとピアノ。中学の頃はポール・サイモンばっかり聴いてた。高校に入って、ドビュッシーに出会い、一方友達と組んでた「うどん’77」という女声デュオでポプコンの県体会に出てしまう。何というか、こうして言ってても気が狂いそうな世界ですな。 |
カ・ | 「うどん’77」ですか。すげえな。 |
覚・ | わはははは。次に組んだバンドはもっとすごいよ、「音楽美人」。きゃー、穴があったら入りたい。 |
カ・ | うわー。 |
覚・ | わはははは(笑い止まらず)。いや、だからね、高橋ユキヒロさんの「音楽殺人」ていう、わはははは、アルバムタイトルがあってね。 |
カ・ | そこから「音楽美人」。うわー。 |
覚・ | わはははは。(お腹の皮、引きつる) |
カ・ | ひゃっひゃっひゃっ。で、どんなサウンドだったんですか。(笑い止まらず) |
覚・ | (やはり笑い止まらず)カ、カストルさん、あなたホントにファンなんですか。 |
カ・ | だから余計ウケるんですってば(笑・涙)。 |
覚・ | 相棒はYMO初期からファンで、一方レインボーとかハードなのも好きで、私はムーンライダーズとか高中正義とかユーミンとか聴いてて。まあそのあたりから察していただきましょう。 |
カ・ | わけ分かりませんよ。それが渾然一体となってどんな結果になるのか。 |
覚・ | そろそろ、大学時代に行きますか。 |
カ・ | あ、逃げますねえ。わかりました、いいですよ。 |
覚・ | 大学時代は、YMOとケイト・ブッシュと加藤和彦とジョニ・ミッチェル、それからアッコちゃん(矢野顕子)、ター坊(大貫妙子)も聴いてました。 あとクラシックはずっと部屋に流してた。ブラームスとかプーランク。 その頃、大学のとある演劇サークルに入りまして。 |
カ・ | ミュージカ、 |
覚・ | (あわわてカストルの口をふさぐ)ダメッ、それ以上はっ。 |
カ・ | ぐふふふ。いいじゃありませんか。ミュージカル研究会。略して「ミュー研」。ぐはははは。 |
覚・ | この略称がシビれるんだよ。オリジナルの音楽芝居を作るサークルだったんだけど、そこでは作曲を担当してました。 |
カ・ | 作詞じゃなくて? 意外ですね。 |
覚・ | 高校時代から両方やってて、このサークルでは作曲係。 で、このサークルの劇バンとして集められたメンバーのなかに、鶴来正基くんと今カーネーションでドラマーやってる矢部浩志くんとかがいて、話してたら音楽の傾向が似てるので、んじゃバンドやろうということになって。 |
カ・ | そこではボーカルを。何て名前のバンドだったんですか。 |
覚・ | 「ベスト・クラシックス」。 |
カ・ | これも結構すごい名前ですね。このバンドでも作曲を? |
覚・ | もうやめてますね。鶴来さんを始めメンバーのみんながほんとにいい曲を書くんですよ。それで私、作曲はもういいやって感じになってしまいましたね。 |
カ・ | 覚さんの作った曲って聴いてみたいけどな。 |
覚・ | 最近、またちょっと始めてみたいような気持ちにもなってきたんですけどね。 |
カ・ | どんなサウンドでした? |
覚・ | 当時はムーンライダーズとか戸川純とかニューウェーブ全盛の時代で、私たちも打込み系とアコースティックなものと取り混ぜて、都内のライブハウスで演ってました。(笑) 音楽でも何でも、面白いことは何かっていつもいつも考えてるような時代で、shi-shonenとかリアルフィッシュとかボイスとかポータブルロックとかカーネーションとかドレミ合唱団とか、時々対バンしたりして非常に刺激的でした。 |
カ・ | ポタロクはピチカートの野宮真貴がいたとこだし、ドレミはスピッツなんかのプロデュースをした棚谷祐一さん(「青空1号」でもストリングスアレンジをしてくれてます)のバンドで、shi-shonenはフェアチャイルドの前身ですよね。 話題満載の時代じゃないですか。覚さんが初めて作詞家として仕事をしたショコラータもそんな中のひとつだということですか。 |
覚・ | それとはちょっと別系列で、ショコラータは早稲田の軽音楽サークルから出たバンドなんですよ。今聴いてもアバンギャルドな、かっちょいいバンドでしたけど。 |
カ・ | なるほど。それで「セーラ」に至る道は、まだ? |
覚・ | 「ベスト・クラシックス」は2年ぐらいで解散しまして、残った鶴来さんと私が「om」というユニットを作ったんです。 |
カ・ | あー。ようやく「om」という名前が出てきましたね。 以下次号… |